商品の詳細
要旨(「BOOK」データベースより)
ポリドリ『ヴァンパイア』ブームのさなか、1820~30年代にかけて発表された、ラウパッハ『死者を起こすなかれ』、シュピンドラー『ヴァンパイアの花嫁』など怪縁が織りなすドイツ・ヴァンパイア文学傑作短編集。本邦初訳。ヴァンパイア学者が詳述する訳者解題「ヴァンパイア文学のネットワーク」を併録。目次
死人花嫁 ゴットフリート・ペーター・ラウシュニク死者を起こすなかれ エルンスト・ラウパッハ
ヴァンパイアの花嫁 カール・シュピンドラー
ヴァンパイア アルスキルトの伝説 J・E・H
狂想曲――ヴァンパイア イジドーア
ヴァンパイアとの駆け落ち ヒルシュとヴィーザー
ヴァンパイア ワラキア怪奇譚 F・S・クリスマー
註
ヴァンパイア関係事項年譜
訳者解題 ヴァンパイア文学のネットワーク
内容(「BOOK」データベースより)
死人花嫁(ゴットフリート・ペーター・ラウシュニク);死者を起こすなかれ(エルンスト・ラウパッハ);ヴァンパイアの花嫁(カール・シュピンドラー);ヴァンパイア アルスキルトの伝説(J・E・H);狂想曲―ヴァンパイア(イジドーア);ヴァンパイアとの駆け落ち(ヒルシュとヴィーザー);ヴァンパイア ワラキア怪奇譚(F・S・クリスマー)内容紹介
ポリドリ『ヴァンパイア』ブームのさなか、1820~30年代にかけて発表された、ラウパッハ『死者を起こすなかれ』、シュピンドラー『ヴァンパイアの花嫁』など怪縁が織りなすドイツ・ヴァンパイア文学傑作短編集。本邦初訳。ヴァンパイア学者が詳述する訳者解題「ヴァンパイア文学のネットワーク」を併録。著者紹介(「BOOK著者紹介情報」より)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
ラウパッハエルンスト(ラウパッハエルンスト/RaupachErnst)1784‐1852。1784年にシュレージエンのシュトラウピッツにある牧師の家に生まれる。ハレ大学で神学を学んだ後、兄のいるペテルブルクに移り創作を始める。さる侯爵家の家庭教師を務めるかたわら、大学教授としての業務に追われるが、外国人排斥運動を受けてドイツに戻る。宮廷顧問官のとりなしでベルリンの劇場に腰を落ち着け、1852年に死亡するまで創作を続ける
シュピンドラーカール(シュピンドラーカール/SpindlerKarl)
1796‐1855。1796年にブレスラウの音楽教師の家に生まれる。父の仕事の関係でストラスブールに移住するが、フランス軍侵攻を受けてアウクスブルクに逃れる。演劇にのめり込み、十年ほど旅芸人の下働きをした後、スイスで作家として生計を立てようとする。最初はうまくいかず、生活のために数々の作品を発表した。32年にバーデン=バーデンに移住し、1855年に当地で死亡
ラウシュニクゴットフリート・ペーター(ラウシュニクゴットフリートペーター/RauschnickGottfried Peter)
1778‐1833/35?。1778年にケーニヒスベルクに生まれる。Ph.Rosenwall名義で風俗旅行記などを出版。オランダやドイツのライン地方、スイスなどを周遊した後にいくつかの雑誌・新聞を編集。最終的にライプツィヒに移り住み、当地で1833/35?に死亡
ヒルシャーヨーゼフ・エマニュエル(ヒルシャー.ヨーゼフエマニュエル/HilscherJoseph Emanuel)
1806‐37。1806年にチェコのリトムニェジツェに生まれる。軍学校に入り、教師の影響で文学に親しむ一方で、軍人としても出世し、最終的には宮廷勤めを果たす。しかし、1837年にミラノで病死
ベックカール・イジドーア(ベックカールイジドーア/BeckKarl Isidor)
1817‐79。1817年に、ハンガリーのバヤに住むイスラエル人の両親のもとに生まれる。ウィーンで医学を学んだ後、メッテルニヒ体制の検閲を逃れてライプツィヒに移り、「若きドイツ派」のグスタフ・キューネと親交を結び、文学の道に入る。『鉄道』という詩で有名になった後、ニコラウス・レーナウなど数々の人物と交流する。脳炎によって、ウィーンの病院で1879年に死亡
著者について
エルンスト・ラウパッハ (エルンスト ラウパッハ)(Ernst Raupach 1784-1852)
1784年にシュレージエンのシュトラウピッツにある牧師の家に生まれる。ハレ大学で神学を学んだ後、兄のいるペテルブルクに移り創作を始める。さる侯爵家の家庭教師を務めるかたわら、大学教授としての業務に追われるが、外国人排斥運動を受けてドイツに戻る。宮廷顧問官のとりなしでベルリンの劇場に腰を落ち着け、1852年に死亡するまで創作を続ける。
カール・シュピンドラー (カール シュピンドラー)
(Karl Spindler 1796-1855)
1796年にブレスラウの音楽教師の家に生まれる。父の仕事の関係でストラスブールに移住するが、フランス軍侵攻を受けてアウクスブルクに逃れる。演劇にのめり込み、十年ほど旅芸人の下働きをした後、スイスで作家として生計を立てようとする。最初はうまくいかず、生活のために数々の作品を発表した。32年にバーデン゠バーデンに移住し、1855年に当地で死亡。
ゴットフリート・ペーター・ラウシュニク (ゴットフリート ペーター ラウシュニク)
(Gottfried Peter Rauschnik 1778-1833/35?)
1778年にケーニヒスベルクに生まれる。Ph. Rosenwall名義で風俗旅行記などを出版。オランダやドイツのライン地方、スイスなどを周遊した後にいくつかの雑誌・新聞を編集。最終的にライプツィヒに移り住み、当地で1833/35?に死亡。
ルドルフ・ヒルシュ (ルドルフ ヒルシュ)
(Rudolph Hirsch 1816-72)
1816年にモラヴィアのナパイェドラで、伯爵家の法律顧問をしていた経済学者でもある父のもとに生まれ、後にチェコのブルノに移る。ウィーンで法律を学んだ後、ブルノの市役所に勤め、そこでヴィーザーと知りあう。幼い頃から音楽への情熱を育んでおり、市役所での仕事に嫌気がさしてライプツィヒに移る。後にトリエステやウィーンで重役に就くが、余暇には趣味の音楽や文学に時間を費やし、創作を続ける。1872年にウィーンで死亡。
ヨーゼフ・リッター・ヴィーザー・フォン・メーレンハイム (ヨーゼフ リッター ヴィーザー フォン メーレンハイム)
(Joseph Ritter Wieser von Mährenheim 1813-86)
1813年にチェコのブルノで商人の父のもとに生まれる。オルミュッツの大学で法学を学び、地元ブルノの市役所に勤める。ヒルシュとの共作後は、彼と違ってそのまま地元に留まり、仕事のかたわら創作を続けている。1886年にブルノで死亡。
フランツ・ゼーラフ・クリスマー (フランツ ゼーラフ クリスマー)
(Franz Seraph Chrismar 生歿年不詳)
詳細は不明。ペシュト在住であったと考えられる。東欧・南欧を巡る旅行記をいくつか残している。
森口大地 (モリグチ ダイチ)
1990年生まれ。ヴァンパイア学者(ヴァンピロロジスト)。京都大学文学研究科博士後期課程修了後、『ドイツ語圏を中心とした初期ヴァンパイア文学史――セルビアの事件からルスヴン卿の後継者まで』で京都大学博士号(文学)を取得。現在、関西学院大学ほか非常勤講師。専門はヴァンパイア学(ヴァンピロロジー)。主に18~19世紀のヴァンパイア史、ヴァンパイアを題材にした史料・文学テクストや論文。
商品の説明
ラウパッハ、シュピンドラー 他『ドイツ・ヴァンパイア怪縁奇談集
ルリユール叢書 | 幻戯書房
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楽天ブックス: ドイツ・ヴァンパイア怪縁奇談集 - エルンスト
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